
アマチュア・ソフトボール協会(Amateur Softball Association)のケリー・マケオン(Kelly McKeown)マーケティング・ディレクターは、ソフトボールの世界にディマリニが大きな変化をもたらしているという。それは、外野のフェンスまでの距離だ。従来はホームベースから275フィート(約84m)に設置されていた外野のフェンスが、少しずつ遠ざけられて、今では350フィート(約107m)の距離が普通になっている。変った点はそれだけではない。エバンズビル公共施設課のクリス・レーン(Chris Rehn)スポーツ&アスレティック・ディレクターは「以前なら1ゲームあたり多くても20本だったホームランが、今では40本程度まで増えている」という。スコアの急激なインフレによって各リーグは、ホームランの上限を設定しなければならなくなった。
レイ・ディマリニ(Ray DeMarini)は現在54歳、以前はポートランドのトラックメーカーでデータプロセスの仕事をしていた。バット製造の仕事に目を向けたのは1980年代の前半、同僚に頼まれソフトボールの試合に代わりに出たのがきっかけだった。彼はソフトボールに夢中になり、すぐにトップレベルのリーグで試合をするようになった。
身長が5フィート7インチ(約170cm)と決して大きいほうではないレイ・ディマリニの不満。それは、バットメーカーは大柄の選手のニーズに合わせたバットしか作っていないということだった。そこで、平均レベルのプレーヤーを対象にしたハイ・パフォーマンス・バットの製造に乗り出すことになった。
レイ・ディマリニと彼のビジネス・パートナーであるマイク・エッギマン(Mike Eggiman)が第一号バット(単一管壁構造)を作ったのは、オレゴン州の暖房設備もない小さな納屋。機械を廃材で修理しながらの仕事だった。ディマリニのロゴ(DeMARINI)をバットに記したシルクスクリーン印刷機も、納屋にあったスペアのパーツと木材の切れ端を利用して僅か9ドルで完成した手作りの機械。バットの研磨機もモンゴメリー・ワード社の洗濯機を改造したものだったが、手作業に比べて、約3倍にまで生産性がアップしたという。画期的なアイディアがひらめいたのは1990年代の前半だった。当時、どうしたらバットのパワーを増大できるか悩んでいたマイク・エッギマンは、古いトラックに使われている板ばねのパーツを眺めているうちに、複数の薄い金属の層がお互いに非常にうまく機能していることに気づいた。ダブルウォール(二重管構造)誕生の瞬間である。